「いやあ、本当に素晴らしいですね!」
「一年目なんですよ! 彼は。高校の時からいい選手ではありましたが。ルーキーの仕事とは思えません。三振も……ははぁ、16ですか!」
「驚異的ですね。ノーヒットノーランというのは……投手にとっては夢ですよね?」
「ええ。でも狙ってできるものではないですからねぇ。本当に三橋君の投球は素晴らしかった」
「佐倉選手のリードもよかったです」
「ええ」
「今後もこの同級生バッテリーの活躍が――」
「放送席〜、放送席。ヒーローインタビューの準備が整いました」
「お。はい、お願いします!」
「今日の主役はもちろん三橋投手、そして佐倉選手です。お二人とも、今日はおめでとうございます」
「あ、あ……ありがとうございますっ」
「ありがとうございます!」
「まずは、三橋投手。ノーヒットノーラン、あらためておめでとうございます。今のお気持ちは?」
「あ……なんってゆえばいいのか、よく、わかりません。夢中、だったので」
「しかも16奪三振です。ルーキーでこの偉業、素晴らしいですね!」
「ありがとうございます。佐倉のリードがよかったので。オ……いえ、僕は球遅いから」
「とんでもありません、緩急つけたピッチングでした。堂々となさっていましたよ。そうでしたね、佐倉選手?」
「はい! 三橋はホントサイン通りに投げてくれるから、こんなにやりやすいヤツはいないですね。かっこよかったぞ、三橋。ね?」
掴んでいたマイクを、佐倉は笑顔で満員の客席に向ける。地響きのような歓声が返ってきた。
「ありがとう……ございます」
胸が熱くなる。廉は帽子を取り、ぺこりと頭を下げる。また黄色い声があがった。
「今日は……球場にお母様がいらしているということですが」
ぱっと大型スクリーンが切り替わる。客席からブンブンと手を振る母親の姿が映った。少しくすぐったい。
「この喜びを誰に伝えたいですか?」
誰に?
「えと……まず、両親と」
プロに入ってから出会った人達、実業団に居た時代よくしてくれた監督や先輩、色々な顔が頭の中に浮かぶ。けれど――。
「僕を信じて使ってくださった、監督と……」
一番伝えたいのは?
「高校……時代の監督や――皆に」
「三橋投手!」
「は、はい」
実況席のアナウンサーによく通る声で呼びかけられ、廉ははっとした。
「三橋投手は確か、甲子園でベスト4を経験なさってますよね? 県立西浦高校の快進撃、今でも覚えてます。その時のナインとは今でも交流が?」
「え……その、交流というか、その」
「西浦の連中はよく応援来てくれますよー。差し入れとかももらって」
まごつく廉に、佐倉が助け舟を出してくれた。プロとしては4年目の佐倉のほうが先輩なのだ。慣れているな、と妙に感心してしまった。
「今日も来てくれてんじゃないかな」
スタンドの一角から来てるよ〜、と声があがる。
「三橋君ガンバレ!」という垂れ幕を持った浜田に篠岡に栄口……水谷に泉も居る。
「佐倉選手も、埼玉のご出身でしたよね」
「はい、俺の学校はいつも三橋んトコとあたってね。甲子園出られなかったんですよ」
「それが今ではチームメイト?」
「ですよー、変な感じします。三橋は高校時代から――」
「それが今では立派な女房役なわけですね。バットでの援護も素晴らしかったです。7回のタイムリーも快心のあたりだったのではないでしょうか?」
「ええ。あれはスライダーが来ると思っていたので、思い切って……」
レポーターの注意が佐倉に移った。廉はまた、客席を見回す。精一杯目を凝らして。
だけれども、一番望む人の姿はどこにも見えなかった。
*****
「それでは、お二人とも今日は素晴らしい試合を、本当にありがとうございます。おめでとうございました! 是非、ファンに一言ずつお願いします。まず……佐倉選手」
「いいゲームができて本当に嬉しいです。三橋は開幕から調子よくて、もしかしたらやってくれるかなと思ってました。ノーヒットノーラン、本当に凄いです。バッテリー組めて幸せです。今日のことは三橋の力はもちろん、ファンの応援にも助けられました。ありがとう、これからも応援よろしくおねがいします!」
がばり、と佐倉が頭を下げると黄色い声と野太い声が混ざった歓声が巻き起こる。
「では、三橋投手」
「あ……今日はキャッチャーのリードも良くて気持ちよく投げられました。僕は――本当に、この場に立てていることが夢みたいに嬉しいです。どうか今後も頑張りますのでよろしくお願いします」
「フレッシュな同級生バッテリーのヒーローインタビューでした。ではお返しします」
「――ありがとうございました。若い、だけれども頼もしい二人ですね」
「いやあ、佐倉君は熱いね。三橋君は初々しい。これからも謙虚にこの調子で頑張って欲しいですね」
「本日は興奮さめやらぬ、埼玉リバーサイドスタジアムからお伝えしました。延長が入りましたので、今後の……」
*****
何も聞きたくなかった。見たくもなかった。
なのにどうして、目を離すことが出来ないんだろう。
隆也は球場そばのコーヒーショップに居た。観たくない、と逃げてきたはずのヒーローインタビューに、思わず見入っていた。
紙コップの中のコーヒーをゆっくりと啜った。
苦い。
*****
「お前……社会人行くってほんとか?」
人気のない教室で、問い詰めた。
「う、うん……」
「……大学は?」
「うん……その、いい話だと思ったけど……断ることにする」
「なんでだよ?」
「……野球中心でやってきたいな、と思って。無謀かも、知れないけど」
「んなことはいってねえよ。だけどお前……」
当時高校三年生だった三橋や田島に声をかけてきたのは、東京や関西の私立大学だった。大学としても名前が通っていて、スポーツも盛んな学校も沢山あった。そこへ入学できれば、万一野球で芽が出なくとも、なんとかなる。しかし、社会人となると話は別だ。
「なら、プロしか……ねえぞ」
少なくとも隆也にはそう、思えた。
「確かに。そう、かも」
俯いていた三橋が、きっと顔をあげる。
「だけど、オレ……やってみたいんだ」
「……そうか」
「うん」
「オレは……進学する」
「……うん」
茶色の大きな目が、一瞬ゆれたみたいに見えた。
隆也に、野球推薦で声が掛かっていなかったわけではない。三橋と同じところからそういう話がもらえないとしても、一般入試を受ける手がある。そう思っていたのに。
「頑張れよ……怒鳴って悪かった」
「ううん……阿部、も」
「頑張ってね」とぎこちなく笑う三橋を見たのは、それが最後の気がする。
それから隆也は受験体制に入り、三橋は三橋で忙しくしていた。いや、隆也はわざと三橋を避けた。
裏切られたと感じていた。
プロ志望をしなかったのは、自分と同じところへきてくれるからだと、勝手に期待していたから。だから、とんでもなく……ショックだった。
後のことはあまり覚えていない。いつの間にか卒業していた。高校生でなくなるなんて――もう同じマウンドに立つことがないなんて、信じたくなかった。
隆也は東京の大学に進んだ。そこその名前の通った学校だ。野球推薦ではなかったので、授業に出て、単位を取ることが求められた。野球部も悪くはなかった。二年からレギュラーになれたが、不思議と高校の時ほど熱が入らなかった。
そうして、就職活動に意識が向き始めた三年生の冬の頃だ。
「三橋……プロ行くんだってよ!」
高校時代の仲間だった、栄口からの電話で知った。
一瞬絶句した後、
「そうか……凄いな。何かお祝い贈るか」
口からついて出たのは他人事みたいな言葉だった。
年が明けて、いくつかの企業から「内定」を貰った。どの会社も同じに思えた。そこに入って歩む人生は安定していて、平凡で……つまらないだろうと予想がついた。
そして今日の日が来た。短い手紙と一緒に送られてきたチケットを、隆也は使わなかった。同じ日の同じゲームの外野のチケットを手に入れた。後ろめたいような気持ちで、こっそりマウンドの上の姿を、見守っていた。
22歳の三橋廉は、少し背が伸びたように見えた。相変わらず細い。鍛えているんだろうけど、それでも頼りなく見える。いや、それは自分の……思い込みかもしれない。
ストレートはせいぜい140k。速くはない。だけど、手元でよく伸びる。カーブ、シュート、スライダー、フォーク……どれもよく決まった。強打者と対する時でも、キャッチャーのミットはまったく動かない。
三橋は変わっていなかった。変わらないまま、とても大きくなっていた。
夢中だった、とはにかむ顔が浮かぶ。
離れていた三年間と少し、お互い連絡を取らなかった。その間、三橋ほどでないにしろ、隆也にも色々なことがあったのだ。
けれども思い返してみると、何も残っていない。
鬼教授のゼミでしごかれた時も、合コンで知り合った女の子とつきあうことになった時も、その子から平手打ちを食らって別れることになった時も……試合に勝てた時さえも、あのゾクゾクするような感覚は、隆也の中には無かった。
一生熱くなることのできないまま、歳を重ねていくのだろうか? それは途方も無い作業に、隆也には思える。
いつのまにか店の大型テレビの場面は切り替わり、バラエティーが流れ始めていた。球場帰りらしい客が、どやどやと店に入ってくる。その騒がしささえ、今は救いに思える。
こんなに心が痛いなら、どうしてあの時言えなかったのだろう?
本当のコトを。
【つづく】
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長くなってしまいました; 4まで続いてしまいます……。
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